無色のチラシ

そこらへんに転がっていそうな日々の雑記。愚痴。つまりチラシ裏。

私の喘息治療/知らないと損する助成金

「中学生までに完治しなければ一生ものですね」
女医がそう冷たく言い放った言葉を今でも鮮明に思い出せる。
当時通っていた大学付属の総合病院の一室。
どんよりとした薄暗い待合室。薬の匂いが充満してる古めかしい建物だった。
家から車で一時間以上かかり、小学高学年の間は学校を早退して月2回通っていた。

 

二十歳を超えるまで、毎日発作を起こしていた。
原因は様々で、ハウスダストだったり、動物だったり、運動だったり、発作の程度はあれど死を覚悟したことも少なくはない。
少し体を動かしただけで呼吸困難になる。この苦しみを想像できるだろうか?
本当に辛くて、女医の言葉は心に響いた。
今では年に数回の発作ですんでいるが、メプチンという薬をどんなときも持ち運んでいる。

 

大学病院だったからか、小児科だったからか、担当になる先生は若い人が多く、2~3年の通院生活で5回くらい担当の先生が替わった。
実際に通い始めた頃は、早く良くなる期待と、自分だけが特別な事をしている優越感に浸っていたが、診察の待ち時間が異常に長くてすぐに嫌になっていたと思う。
中学生になってからは、親も諦めたのだろう。徐々に通院の回数は減り、薬は近場のクリニックで酷くなった時に発作を抑えるものをもらうようになった。
今では良くなっているが、別に特別なきっかけはなく。自然と発作の頻度が減っていった。
話はそれるが一年ほど中国で働いていた事があり、ちょうど時期はこの辺りからだった。どんな人も良く腹を下していたが、その度に、なにかえって耐性がつく。なんて言われていたが、本当にその通りかもしれない。

 

最近になって、母とこの話をする機会があった。
当時は特に通院を撃ち切った理由を聞いたことはなかったのだが、助成金を受けられなくなったのがきっかけらしい。
軽く調べた程度だが、喘息の治療は結構負担が大きいらしい。
潮風が喘息に効くと聞けば海無し県に住んでいるのにもかかわらず良く両親はドライブに連れて行ってくれた。漢方薬やら喘息合宿やらありとあらゆる治療を受けさせてくれていた両親には頭が上がらない。
助成金と聞くと雇用関係の話を思い浮かべてしまうが、喘息でも助成金はもらえるらしい。
ただ、自治体によって内容が異なるのと、年々縮小されているようで残念だ。

喘息認定制度ってどんな制度?

 

私が住んでいた地域では、治療費を免除してくれていたらしい。
まあ、タダだったら行かない手はないよなと思う。

 

通院して間もない頃に、一度だけ入院したことがあった。
期間はたったの一日。
若くて感じの良い男の先生だったのを覚えている。


「君は他の子よりも症状が軽いから入院したなんて友達に言っちゃ駄目だよ」

 

そんな事を何度も確認されたのを覚えている。
事実それは間違いなくて、6人ほどの相部屋だったが、一人は一日中呼吸器を外せないような子がいた。また、僕のように普段は元気だが、発作が起こると酷い子もいた。
その後参加した喘息合宿では、みんな昼間は普通に見えたが、夜には発作がひどくなる子ばかりで、病院でしか見たことないような電気を使う呼吸器をしながら寝付いた子もいた。

私もピーク時は薬を10錠近く飲んでいて、簡易的な呼吸器なども使用したこともあった。それでも、上には上がいて、現実を見せるために、自分はお情けで入院させてもらったんだなとずっと思っていた。

しかし、事実はこうだった。

助成金を受けるには条件が必要で、その一つに入院経験があることが必要だった。
また、入院中に仲良くなった友達がいたのだが、その子も似たような境遇だったらしい。
もちろん、全く症状が無いのに入院できるわけはないが、かなり無理をしてくれていた事。それがあまり広がらないように私に口止めしていた事。
もし、この先生に出会えなければ、私は子供の頃に治療を受けられず死んでいたかもしれない。

この病院に通うようになったのは、喘息の治療に強いと聞いたからだったらしい。
なんの根拠の無い人伝の口コミだ。
通院を辞めたのは、諦めもあったらしいが、やはり医者が変わる度に対応が悪くなっていったらしい。そりゃ、一生ものって言われたら、諦めるのも無理は無いだろう。
ただ、助成金なんて知らなかったら、それまでで。
ネットのない時代に特例を作ってまで教えてくれた先生に出会えて幸運だったと思っている。