無色のチラシ

そこらへんに転がっていそうな日々の雑記。愚痴。つまりチラシ裏。

2年前の自分と今の自分

このブログを書こうと思ったきっかけは

傷病手当金をもらうことになり一ヶ月の休職期間をもらえることが決まったからだった。

 

当時の自分は終電が当たり前になっていて、

深夜タクシーにも頻繁に乗り始めるようになった。

要は社畜であった。

 

歩いてる最中に意識をなくしたり、下痢が止まらず、何というか散々な日々だった。

だけど、仕事はそれなりに好きで、アルバイトから社員に登用された事もあって、必死に毎日を生き延びてたと思う。

 

そんな中、心臓が急に痛むようになった。

 

「今なら終電で間に合う!」とか思って会社を出て走り出した矢先の事だ。

どれだけの時間か覚えてないが、動けなくなってその場で必死に痛みを堪えた。

携帯を確認すると終電はとっくに出発してて、目の前のタクシーに乗り、明日の仕事の事を考え始めた。

なんで、この時に自宅じゃなくて病院行かなかったのかね…。

慣れる事は恐ろしい。あと、正直金も無かったな…。

 

ただ、このあとからかな?日

付をまたぐ頃には、呼吸が定まらなくなってきていた。

心臓の痛みも増え、動悸を常に感じるようになっていた。

 

程なく会社に行くのが怖くなった。

 

このあと循環器科に通うことになるのだが、僕の医者嫌いが加速したのはこの辺りだったのかな。

毎日書こうかと思ってた日記も保険組合からの対応に追われてまともに一ヶ月休んだ気がしなかった。

 

それから2年。僕は同じ会社で働いてる。

いい会社だと思う。僕は首になると思っていた。

休職の打診も上司がしてくれたお陰でスムーズだった。

迷惑ばかりかけて、その後も時短勤務が続き本当に申し訳ない2年間だったけれども。

 

ただ、二回目の心臓の痛みは耐えられなかった。

タイミングは2年前とほぼ同じ。始発で帰って、1時間の仮眠の後に、会社へ向かった。

翌日は土曜日だったが、一日中ベッドで過ごした。日曜も同じだった。

そして、月曜日に何度も心臓が傷んだ。

火曜日は病院に行った。医者の笑い顔が憎たらしい。

 

翌日、僕は上司に退職希望の相談をした。

引き止められたはしたが、今回はもう無理だろう。

引き継ぎが終わるまで、傷病手当金なんて糞みたいな制度に頼らない事を祈る。

 

何かを選択すると言うのは怖いことだ。

この選択は後悔するだろうけど、それでも少しでも良い未来を思い描けるように足掻かなきゃいけない。